絵画鑑賞入門者の方にオススメ!名画は語る 千住博

絵画鑑賞入門者に

この本は名画にまつわる、筆者の感想とエピソードつづった本で、名画鑑賞の入門に最適な本です。

皆さんは美術館に行ったことはありますか?美術館に行くと、多くの人だかりと、その人だかりの後ろから遠巻きに眺めて、「ふーん」という感じに漠然とした感想を抱いて帰っていくのが、私のたいていのパターンです。

しかし、この本を読むと、見る人によって名画が、実は多くのことを語っていることを思い知らされるのです。

ムンクの叫び

例えば、「ムンクの叫び」という名画をご存じでしょうか。よく、あの絵の中で、ムンクは頭を押さえて叫んでいるのだ、と思っている方は多くないでしょうか。

実は、ムンクは大地の叫びに恐れおののいて、耳をふさいでいるのです。意外に思われたのではないでしょうか。ムンクは不安な時代背景、空気感に堪えながら生きる、現代人の姿を描いていたのです。

実はそのような現代の不安と戦うことを、人々に鼓舞する絵だったのですね。ムンクは80歳まで生きたそうです。長生きですよね。あの絵の姿からすると、すごく衰弱した姿をイメージしますが、やはり意外だと思いませんか?

大変読みやすく、挿絵も美しい本

このように、この本を読むと美術史が理解できます。そして、それらが筆者の巧みな筆力で日常のエピソードを交えてつづられています。大変読みやすいです。

美術に興味がある方、入門者の方に最適ではないでしょうか。名画の挿絵もあるので、名画を手元に置いておきたい方にもいいですよ。

お笑いの歴史がわかる一冊

ビックスリーからユーチューバーまでわかるお笑い文化史

今回ご紹介するのは「すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった 太田省一」です。この本はお笑いの草創期から現代のユーチューバーに至るまでの過程を描いたお笑い文化史で、お笑い好きの方や動画配信を行っている人に参考になる本です。

サンドイッチマンがさんまを好感度で抜いた。これはお笑いの歴史において大きな変化が起きている証だと本書は述べています。

ご存じのとおりタモリ、明石家さんま、ビートたけしは長い間テレビにおいて活躍している芸能人です。

彼らの活躍を本書では描いています。また、それぞれの芸風の違いや、それが形成されてきた過程がわかります。そして、その後ダウンタウン松本人志の登場、彼のお笑いビッグスリーとの芸風の違いや共通点を理解できます。

やがて彼がM1というお笑いのコンテストの審査員を務めることになります。つまりお笑いのスタンダートととも言える立場になるわけです。

すると彼が審査したM1芸人が台頭するようになりました。その中にサンドイッチマンもいます。彼らが明石家さんまを好感度で抜いたというのは非常に大きな変化がお笑いを見る視聴者層に起きていると本書では分析しています。

本書にはユーチューバーについての記載もあります。彼らのコンテンツには「○○してみた」のように、ただなにかをやってみるだけの動画という定番ジャンルがあります。そこにはオチがない。おそらく、ただオチのないユルい空気感だけを楽しんで眺めるだけの視聴者層が多数増えているのです。

テレビとYouTubeの違いとは?

テレビは戦場で、必ずオチがあるのがお笑いなら、ユーチューブの動画視聴者層はいったい何を求めているのか。本書を読まれるとその点がよりわかるでしょう。

日本のお笑いが一読でわかる

この本を読むことで日本のお笑い文化の変遷、視聴者層の変化がわかります。動画配信やマーケティングをしている方などにはおすすめです。

世界は完全なフラットではない。「コークの味は国ごとに違うべきか 」パンカジ・ゲマワット

セミグローバルな世界

この本は、世界はフラットである、グローバル化しているという言説に対して、完全にフラットではなく、セミグローバルな世界であるという主張を展開し、その論拠としてセミグローバルな世界に適応した企業例を挙げて論証する本です。

日本のコカ・コーラはコーヒーで成功した。

題名にありますが、日本においてコカ・コーラは有名な飲み物ですが、日本コカ・コーラが収益を上げているのはコークだけではなく、缶コーヒーその他日本独自で開発した商品が収益を上げているとあります。

また、マクドナルドもそうですが、月見バーガーがアメリカで売っているとは思えないですよね。

セミグローバルな企業ほど成功する

このように、各国で販売戦略に裁量を与えた企業ほど成功を収めているとあります。

なぜなら、完全に世界はグローバルではなく、それぞれに異なった戦略が必要だからだそうです。

そして、企業が海外で成功するにはどのようなステップを踏むべきかが記載されています。

文化論としてのセミグローバル

個人があまりグローバル戦略のあり方について考えることはないかもしれませんが、言語や、食文化の多様性の観点からも、文化論として読める本ではないでしょうか?